チェチェンへの旅 2008年秋
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独立時代には「三馬鹿記念碑」とコケにされていたが、ソ連時代に建立された諸民族の長兄たる
ロシア人と、脇を固めるワイナフ(チェチェン人・イングーシ人)の弟たち。飲んだくれの、我侭な兄貴
を持ったら不幸この上ない。苦労しているのは、なにもカフカスの人々だけではない。
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占領下の首都では、三つの旗が一組で随所に飾られていた。ロシア連邦国旗、チェチェン共和国旗、
そしてプーチン与党、統一ロシア党旗だ。
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グローズヌイ市内の一番の目抜き通りは、ソ連風に「勝利」大通りと呼ばれていた。それが2008年秋に
権力者へのゴマすりで改称された。なにしろ共和国の独裁者は、「自分の今日あるのは、全く彼のお陰
なのだから。」そして、ご当人は、自分としては、生前の人物の名を、地名につけるのは、自分の好み
でないのだがと、余裕で謙遜して見せた。
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